北条政子の産湯の井戸


北条政子の産湯の井戸は静岡県伊豆の国市にある旧跡である。

北条氏邸・円成寺跡の東側に位置する井戸であるため、いつの頃からか「政子産湯の井戸」と呼ばれるようになった。本当の北条政子産湯の井戸は隣接する北条氏邸内にあったと考えられる。今の産湯の井戸は石造りの井戸で、明らかに江戸時代以降の井戸であるから時代的にはこれが政子の産湯の井戸とは言えない。

しかし、昔から近隣の人々の間に、「この井戸に安産を願う」という信仰などがあったという。

北条政子は1157年に生まれ、1225年8月16日に死す。
彼女は鎌倉幕府を開いた源頼朝の正室となった人。

もともと、伊豆国の豪族の北条時政の長女で、子は頼家、実朝、大姫、三幡。

彼女の兄弟姉妹には宗時、義時、時房、阿波局、時子などがいた。

彼女は周囲の反対を押し切り、伊豆の流人だった頼朝の妻となり、頼朝が鎌倉に武家政権を樹立すると御台所(みだい)あるいは御所台(ごしょだい)と呼ばれた。

夫の死後に落飾(貴人が髪をそりおとして仏門にはいること)して尼御台(あまみだい)と呼ばれた。

法名を安養院(あんにょういん)といった。

頼朝亡きあと征夷大将軍となった嫡男・頼家、次男・実朝が相次いで暗殺された後は、傀儡(かいらい)将軍として京から招いた幼い藤原頼経の後見となって幕政の実権を握り、世に尼将軍と称された。

なお、「政子」の名は1218年に朝廷から従三位に叙された際に、父・時政の名から一字取って命名されたものであり、それより前の名前は不明であった。

<北条時政は、奥州征伐の戦勝を祈願して、願成就院を建立しました。>