9月19日〜10月5日の超お買い得情報

暑い夏も過ぎ、朝夕は随分涼しくなりました。

秋の訪れです。

実りの秋、スポーツの秋、読書の秋など、皆様にとって、とてもいい季節になりました。

食欲の秋とも言いますね。

良酒倉庫では秋の超格安セールが始まります。

皆様で、お気軽にお越しください。

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良酒倉庫の特売チラシ

お酒のお買い得情報

■良酒倉庫は地域一番の酒の専門店。ビール、焼酎、日本酒、缶チューハイから伊豆の地酒や洋酒も豊富でその数は数千アイテム。人気の獺祭も在庫。そして価格ももちろん地域一番の安さで、配達もしております。

■また毎日の食卓に欠かせない調味料などの食品もどこよりも安くお買い求めいただけます。
■大手ブランドのギフトセットが一年中、市価の3割から5割引!
■ぜひ一度ご来店ください。もしくはこのサイトにあるチラシか新聞折り込みチラシをご覧下さい。

ワインや洋酒が豊富で配達もします

万大醸造の地酒を紹介します。

万大醸造の代表的なお酒は、”伊豆の地酒”、”修善寺の地酒”、”大吟醸”、”純米吟醸”などがあります。

地酒らしい名前のついたものは、”修善寺”、”鶴生”、”江川の担庵”、”独鈷”、”萬燿”などです。

おかみさんの久枝さんに、焼酎”鬼の念仏”の話を聞来ました。
実はこのラベルの絵が面白いから、これには何か謂れ(いわれ)があるのではないかと思い、軽い気持ちで聞いて見たのです。ところが返って来た説明にびっくり。
このラベルの絵は大津絵なのです。
大津絵に登場する鬼は、「風刺画」と呼ばれることからもわかるように、人の愚かさや邪悪さを象徴した存在です。
中でも「鬼の寒念仏」は、僧衣を纏(まと)う鬼が偽善者の姿を表しています。
知らぬは本人ばかりなのか、顔かたちは鬼のままで、衣装・小道具だけを僧侶にしても無駄だということです。

この大津絵は伊豆下田あたりのお寺にあったそうで、それを見つけた万大醸造がこの図案が面白くて、この焼酎に使ったそうです。

もう一つ、私は疑問を投げかけました。「伊豆地酒の名前に、どうして、”伊豆の踊り子”がないのですか?」と。

すると久枝さんがこう説明してくれました。
「その通りなんです。実は”伊豆の踊り子”の名前で紅白のワインセットを作ったことがあります。何とかしてこれを素晴らしい商品にと考え、化粧箱やデザインを専門家に頼んで企画しました。ところが、デザインに凝りすぎて、費用がかかり過ぎ、結局価格が高くなってしまったんです。かくして、この企画は見事に失敗してしまったんです。」とあっけらかんと話してくれました。

しかし、久枝さんは続けます。
「私どもは地元の皆様のお役に少しでも立ちたい考え、今は伊豆全域の果物農家さんと協力し合っているんです。そこで、色々なフルーツ酒を作り始めました。みんなで手を取り合っていい商品を世の中に出していきたいと考えています。息子も銀行を辞めて帰って来てくれましたから今は大変気強いです。」

社長の佐藤智昭さんにも会いました。すごく気の良さそうな人で、長年、大阪の銀行に勤めていたが、母親の思い、従業員の思い、また、地元のみなさんの思いに、一大決心し、伊豆に戻って来たそうです。

頑張っておられる皆さんにエールを送ります。

頑張れー。

美味しい、お酒、焼酎、ワインを作ってください。この度はお忙しい中にお邪魔し、ご迷惑をおかけしました。しかし、大変いい勉強になりました。
因みに久枝さんと一緒に写っているのは私の家内です。

”万大醸造”を訪問をご覧ください。

万大醸造を訪れました。

伊豆の地酒蔵元の万大醸造に前日電話をかけました。
すると、電話の向こうから、軽やかな、しかも、気品ある声が聞こえて来ました。
簡単に、訪問したい旨の説明をすると、快く、「それはそれは….、お気をつけていらしてください」と返って来ました。受話器を置いて、初めて、「いくつくらいのおかみさんだろうか?」と思うほどでした。

翌朝の10時過ぎに蔵元を訪問しました。場所は修善寺駅から車で10分くらいの高台にありました。そこからは、伊豆の田代の田んぼが見渡せました。
私どもが訪れた時には、かの高貴なおかみさんが待ってくれていました。
蔵元の門は、思ってた以上に立派で、門を入ると直ぐ左に立派な屋敷がありました。そこには大きな池があり、山から流れる綺麗な水の中に立派な鯉が泳いでいました。

おかみさんは直ぐにその屋敷に案内してくれました。その屋敷はショールームに使われているようで、そこには蔵元が作っているお酒、焼酎、ワインなどがたくさん並べられていました。この屋敷はあるお寺の建物を移築したもので、なるほど、お寺の雰囲気が残っていた。

早速、おかみさんは、私が質問する前に、先代の”おかねさん”の話を始めました。

私はおかみさんを制して、「万大醸造は、いつからお酒を作っていたのですか?」
すると、おかみさんは多分、”おかねさん”の3〜4代前からではないでしょうか、とはっきりした回答は得られませんでした。江戸末期か明治の初めかもしれません。
ところが、話のところどころに、江川太郎左衛門の話も出てくるので、私なりに、江戸末期にスタートしたものと解釈しました。

因みにおかみさんの名前は久枝さんと呼ぶそうですので、ここからは親しみを込めて久枝さんを使わせてもらいます。
久枝さんにとって、今の万大醸造を語るには、やはり、”おかねさん”抜きには語れないようです。

その”おかねさん”は随分と働き者で、久枝さんが嫁いで来た時には、すでに、伊豆全域に”おかねさん”の名前は知れ渡っていたそうです。
当時の”おかねさん”は万大醸造のお酒を何とかして売らないといけないと必死だったようです。男勝りの”おかねさん”の頭の中は、いつもお酒を売ることだけしかありません。だから、家事のことは一切御構い無し。当然、衣食住も御構い無し。着るものも自分で買うことなどなかったそうです。
そんなところに嫁いできた久枝さんは、ひたすらに”おかねさん”の着るものを手ずから作ったそうです。”おかねさん”は万大醸造の顔だから、恥ずかしいものは来させるわけにはいかないと、洗練されたデザインを勉強し、必死に作ったそうです。そのうち、”おかねさん”もただ出されたものを着るだけではなく、自分で気に入ったものを選ぶようになったそうです。

”おかねさん”は伊豆のお酒販売店では有名で、どんどん、万大醸造のお酒をそれぞれの販売店に売りに行ったそうです。その強引さはそれはそれはすごかったと、”おかねさん”を知っている販売店の人は言います。
販売店の人が、「そのお酒は1ケース置いて行ってください。」と言っても、”おかねさん”は5ケース置いていくのだそうです。その強引さはとても抗えることのできないほど。そして、”おかねさん”は、「大丈夫、このお酒は必ず売れますから」と付け加えたそうです。
”おかねさん”は、それぞれの販売店の商品棚も管理していたそうです。万大醸造のお酒を置く棚を自分で決めていたとまで冗談半分に言われていたとか。しかし、その”おかねさん”はそれだけではなく、色々と面倒見も良かったと言います。だから、みんなからは随分と好かれていたようです。

”おかねさん”が頑張っていた1960年代から1980年代は、伊豆にも7つの蔵元があったそうで、競争は非常に激しかったそうです。それでも、まだ、日本経済は上り調子。伊豆にも大勢の観光客がやって来ていた時代だから、”おかねさん”が働けば働くほど蔵元は繁盛していたとのことです。
そんな時代を懐かしむように、久枝さんは”おかねさん”のことを思い出しながら話してくれました。

しかし、”おかねさん”のやったことは全てうまく行ったということもないようで、何か揉め事が起こると、弁護士である”おかねさん”の旦那さんが物静かに、問題を解決したとのことでした。旦那さんはそれ以外は、一切お酒のビジネスには関わらなかったようです。

”おかねさん”が亡くなって、時代は次第に変わっていく。日本経済もバブルがはじけて、いきなり倒産する会社が増えていった。お酒の業界でも、飲酒運転撲滅運動が大きく影響し、お酒の需要が急激に落ち込んでいったようです。また、観光客も激減し、この醸造の世界にも氷河期がやって来たのです。そして、今では残念ながら伊豆に万大醸造だけが生き残ることとなってしまった、とおかみさんはもの哀しげに語ってくれた。

その全てを見て来た久枝さんの思いは、「私どもは地元の人に救われたんです」の一言。
「だから、私たちは地元の田代のお米を使ってお酒を作らせてもらうんです。」
「だから、私たちは、今、地元の皆さんと一緒になって、地元の活性化の為に尽力を尽くしたいんです。」

久枝さんの言葉の端々に、この地元想いを感じることができる。”おかねさん”もすごいが、実はこの久枝さんも、別の意味ですごい人。優しい思いを持ったこの久枝さんと話している間、私はこの久枝さんの虜にされてしまいました。

お酒の蔵元に来て取材をしようと思っていたが、全てが、”おかねさん”と久枝さんの魅力に圧倒されて、取材終了。
お酒の話は、別の機会に書くことにします。

華々に行ってきました。

以前から行って見たくなる店でした。

世界遺産の”韮山の反射炉”に行く道の右側に、赤い大きな暖簾(のれん)がかかっている。

インターネットでは華々(ハナハナ)という美味しい中華の店として評判もいいと書いてある。

私が想像していたのは、こじんまりとして、若い娘さん、あるいは新婚の奥さんがこじんまりと開いた店(だと勝手に思っていた)。

たまたま、今日は午後の一時を過ぎてそこを通ったので寄ってみることにした。

赤い暖簾をくぐってみると、中はなんと広い。テーブル席が3つと右には座敷席があった。

厨房にはなんと、想像してたものとは全く違い、本格的な親父さんともう二人、男女の調理人が忙しく料理を作っていた。

我々は、たまたま、真ん中のテーブルが開いていたのでそこに座った。私と家内とおばあちゃん。

メニューを見ると値段的にリーズナブル。隣の席の人々は本日の定食950円、あるいは1,050円のものを食べていた。どれも美味そうに見えた。

おばあちゃんは焼きそばを注文した。家内はカシューナッツと鶏肉炒め。私は、高菜と肉のそばと半チャーハン。

料理が出てきたのは直ぐだった。持ってきてくれたのは若い娘さん。私は、そこでピンときた。ああ、これは家族総出でお店をやっているんだな、と。

しかし驚いたことに、出てきた料理のボリュームである。これは間違いなく、若者向きである。おばあちゃんは、焼きそばを半分残す羽目になった。私も、そばとチャーハンは全部は無理だった。家内のカシューナッツと鶏肉も多い。

私が食べている横浜中華街の1.5〜1.8倍はある。まあ、伊豆料理はどこも、量は多いことは知っているが、それにしても多い。

今度は、3人で行って、2人前を注文しようということに決めた。

味のことを書くのを忘れました。味は美味しい。

最近、横浜中華街に行って驚いた。私にはとても塩辛く感じたので、ちょっと、塩を薄めにお願いします、とお店の人曰く、「うちの味は昔から、この味です。」と剣もほろろ。そんな私から見て、この味はグーッ。

韮山の反射炉に来た時にはどうぞ、よって見てください。